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Day.46-2002.08.28 |
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朝6時前に起きた私達は、支度を整えてバッパーを出発した。マネージャーのMさんがバスターミナルまで私達を送ってくれ、ここで私達はMさんにお礼とお別れの挨拶をした。
いよいよケアンズに向けて、私達は出発した。バスが出発したのが朝7時。途中乗換えをはさみながらケアンズ着まで、この日私達は16時間をバスの中で過ごした。アリス・スプリングスからマウント・アイザまでも、時間的には同じ16時間。ただ、昼間に移動するとやっぱり“移動の日”という気分が強くなるものだ。
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マウント・アイザの早朝。人がまだ寝静まっている町でも、工場は動いていた。 |
バスは、内陸のマウント・アイザから東へ、海岸沿いの町“タウンズビル(Townsville)”へと進む。海に近づいていくにつれ、車窓から見える景色が少しずつ変わっていく。
内陸を走っている間、私たちの目には背の低い木々と乾燥しきったような草、そして、長い距離を走り続けた後に破裂したと思われるタイヤの残骸が映るばかりだった。
その風景が、緑をまといすらりと伸びた木々に変わり始めたころ、私たちは改めて“帰ってきた”と実感した。今までもクイーンズランド州にいた事は事実なのだが、普段サーファーズ・パラダイス周辺で目にしてきたものと似た景色に、どことなくホッとしたのもこれまた事実なのだ。
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内陸特有の景色。 |
夜11時30分頃、バスはケアンズ(Cairns)に到着した。バッパーに到着した私達に、とんでもない大仕事が待っていた。それは“カギ探し”だった。
実は部屋を予約した際、到着が夜遅くなることをバッパーに伝えたところ、“受付は夜閉まっているので、カギを○○の下に置いておくわね”と言われたのである。そしてあろうことか、その時予約をした菜津子は、一番大事な“○○”を聞き逃したのであった。。
彼女の弁護をする訳ではないが、この時電話に出たお姉さんがかなり愛想の悪い対応で、何回も聞き直す事を許してくれる雰囲気を持ち合わせていなかった事は、後日当人と対面した猛も納得した事実ではある。
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途中、道路と平行に走る線路上を、長い長い貨物列車が通った。 |
“何だかよくわからなかったけど、宿泊施設の部屋のカギといえば、たいがい保管場所が決まっているもの”とお気楽に構えていた菜津子は、この後針のむしろに座るどころか、四方を囲まれるような気持ちになっていた。
ここはやっぱりオーストラリア。そして私たちが泊まるのはホテルではなくバッパー。そんな当たり前のことを、私たち、というか菜津子は忘れていた。
バッパーの玄関にカギがかかっているなんて、私たちは想像もしていなかった。たとえ部屋の鍵が見つからなくても、ロビーに落ち着く事は出来るかも、なんていう期待は一瞬で吹き飛んだ。
カギを持たない私達は、バッパーの建物にさえ入る事が出来なかったのだ。
電話をかけてみたところで、真っ暗な受付で誰かが受話器を上げるはずもなく、もうすぐ日付が変わろうかというこの時刻、私たちに残された選択肢はただ1つ。なんとしても鍵を見つける事であった。
手がかりといえば、“○○の下”の“下”である。そう、どこかの下に置いてあるのだ。そして、外からでも取る事が可能なもの・・・。
3人組の中に一人、オーストラリアに来て以来第六感の発達が目覚しい人物がいた。
その人こそ、ついにカギを発見し、みんなの窮地を救った人物、キヨ様であった。
後になって考えてみれば何のことはない。鍵は入り口にある玄関マットの下という、ある意味“定番”の場所に置かれていたのだから。
この日の出来事が私達に教えてくれた事。“相手がどんなに機嫌悪くとも、聞き取れなかった時は聞き返し、理解できなかったら『わからない』と言わなければいけない”
ようやく部屋に落ち着いた私達。居心地のまあまあ良さそうなこの部屋に荷物を解き、ベッドに潜り込んだ時、時計の針は既に1時30分をまわっていた。早朝からのラフティングを翌日に控え、貴重な睡眠時間を出来るだけ確保すべく、3人は早々に就寝の挨拶を交わし眠りについたのであった。
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