|
Day.33-2002.08.15 |
Day.32 へもどる |
カカドゥ国立公園への2泊3日ツアー初日。朝6時に起き、小型バスに乗り込んで私達は出発した。バスの運転席から私達を迎えてくれたのは、もじゃもじゃ頭の男性。彼の名前はスティーブ。今日から3日間私達を各地に案内してくれるガイドさんだ。
初日の恒例行事として、スティーブから日程の説明が行なわれた。一通り話を聞いた3人組、なぜかみんな落胆のご様子。その理由はずばり、このキャンプツアーがとっても整った施設を使用して行なわれることがわかったから、である。“整った施設”というのはつまり、トイレもシャワーももちろんあり、更に常設テントがあるということを意味する。
そう、10日前なら考えられないことだが、3人ともブッシュキャンプツアーが気に入ってしまっていたのだった。これにはベヴンのツアーから一緒のブライアンも同意見らしく、少し寂しそうに“テントがあるんだって。。。”とつぶやいていた。
途中、巨大な蟻塚群を発見。高さ5メートルはありそうなその物体が、あんなに小さなアリたちによって作られたとは、にわかに信じがたい。私達は一番大きなアリ塚の周りに集まり、ガイドさんの説明を聞いていた。
|
.巨大なアリ塚。ちなみに日陰のベストポジションに立っているのが、
話し続けるガイド、スティーブ氏 |
・・・・・・・説明が始まって10分は経っただろうか。彼はまだ話し続けている。そして彼の話には笑いとか驚きとかがなく、本当に“解説”風なのだ。もちろん、それはそれで良いのだけど、時刻は最も暑いお昼前。日差しは遠慮なく私達に突き刺さる。通常肌身離さず持っているお水も、“ちょっとだけ見に行ってみよう”という彼の一言でバスに置いたまま。
暑い!!!長い!!!
一ヵ所にとどまって話を聞き続けることに限界を感じた人が、1人また1人と彼のそばを離れていく。それでも彼は話し続け、更に15分程の間、炎天下での説明は続いた。。。
涼しいバスにようやく戻り、更に東を目指して進んだ一行は、池と農場が組み合わさったような不思議な場所で休憩と昼食を摂る事になった。昼食前少し自由時間が設けられ、私達は思い思いに泳いだり、ボートに乗ったりしてゆっくりと過ごした。何と言っても昨日までのツアーの疲れが完全にとれたとは言いがたく、この自由時間は程よい休息を与えてくれた。
|
休憩中の1コマ。気分は“鬼平犯科帳”? |
昼食後、“マリー・リバー・クルーズ”に出発。豊かな川の流れに乗り、ボートはゆっくりと進んでいく。岸には、水鳥が濡れた羽を広げて乾かす興味深い光景も見える。豊かな緑と水。その中で生き生きと過ごす野生動物たち。。。このゆったりとした自然の姿こそが、カカドゥの魅力の1つである。
そして間もなく、私達はカカドゥの“主”とも言えるワニに対面するのだ。
|
上空に飛ぶ鳥、餌を投げると器用に空中でキャッチする。
キヨ君、“かっこよくパンを投げた”図 |
余談だが、2006年9月、“クロコダイル・ハンター”の愛称で知られたスティーブ・アーウィン氏が亡くなった。“クロコダイル・ハンター”が亡くなったというニュースを聞いた瞬間、私達はワニに襲われての事故だろうと推測した。ワニに近づいて餌を与えたり、ワニに飛び掛かっていく彼の姿が、あまりにも有名だったからだ。
しかし実際には、番組の撮影でエイの上を泳いでいたところを刺されて亡くなったのだった。おとなしい事で知られるエイのとげが心臓に到達するという、本当に何ともやり切れない事故だったが、彼の死により、オーストラリア国中は大きな悲しみにくれた。彼の葬儀はテレビで放映され、ラッセル・クロウなどの俳優は勿論、ジョン・ハワード首相もメッセージを送るなど、大々的に取り上げられた。この葬儀で、わずか7歳の娘ビンディちゃんがしっかりとスピーチする姿には、誰もが涙を誘われたことだろう。
愛称の通り、スティーブ・アーウィンに対して“動物好き”“いつもワニと格闘している”といったイメージを強く持っていたが、彼の追悼番組で、彼が自然動物の保護にいかに心血を注ぎ、テレビ出演などして得た収入の多くを自然保護に費やしていること等を改めて知り、彼の死が何倍も何倍も残念に思えた。
|
これがどう猛な“ソルトウォーター・クロコダイル” |
カカドゥに生息するワニは大きく分けて2種類。“フレッシュウォーター(淡水)・クロコダイル”と“ソルトウォーター(海水)・クロコダイル”である。大きな違いは、フレッシュウォーターは基本的に人を襲わないが、ソルトウォーターは、人を襲うというところであろう。ソルトウォーター・クロコダイルは最大の爬虫類とも言われ、その強大な顎は、牛をも捕らえると言われている。クルーズ中に見たソルトウォーター・クロコダイルも、とにかく大きかった。日光浴しているだけだと言われても、あくびをしているだけかもしれないと思っても、、、迫力がありすぎる。カカドゥでは毎年のようにワニによる被害が報告されているので、ボートの上にいるとは言いながらつい緊張してしまうのだった。
|
“ちょっと見学しているだけなんです!”と言い訳したくなるくらい、迫力満点だ |
夕方、私達はカカドゥ内のキャンプサイトに到着した。いわゆるテント村というのだろうか。広大な敷地内にバンガローも含めた様々な宿泊施設が建っている。私達が荷を下ろしたのは、常設テントの並ぶ一画。2人用テントのため、保正家が1つのテントに、キヨ君は参加者の中にいた、もう1人の日本人の男の子と同じテントに泊まることになった。
テントは至ってシンプルだが、寝袋を敷けるよう板が打ち付けられている。屋根があり、寝る場所は地面から離れているので、当然スワッグは必要ない。キッチンも、屋根・ドア、ガスコンロ付の立派なものなので、キャンプファイアーも当然必要ない。前日までのキャンプに比べたら、びっくりするような快適さである。しかし、ここに至ってもまだ、私達は夜空の下でのブッシュキャンプを懐かしんでいた。
そして、この立派な施設が翌日一行を苦しめることになるのを、まだ誰も知らなかった・・・。
夕食後、“広場でアボリジニダンス・ショーがあるよ”と言われ、私達は期待を胸に見に行った。アボリジニの人々には言葉を初め、歌や踊りに独特の文化がある。私達が住んでいるクイーンズランド州には、アボリジニの人々が多く住んでいる“ケープ・ヨーク”という場所がある。しかし、同じ州でありながら、ゴールドコーストでアボリジニの人々を見かける機会はあまりない。彼らの歌や踊りも、テレビで見たことしかなかった。
|
ダンス見学の後、アボリジニの伝統的な楽器“ディジュリジュ”に挑戦 |
火が焚かれた広場。全身にペイントを施した3人の男性がいた。辺りの暗さも手伝って、何となく厳粛な、そしてほんの少し怖くなるような緊張感が漂っていた。
そして、ダンスが始まった。
・・・・・・・あれ?
ピンと張り詰めていたあたりの空気が、少しずつ戸惑いを見せ始めた。立ち去っていく人もいる。
アボリジニ文化の継承者達による歌とダンス、のはずだった。
何かがおかしい。
歌い手兼踊り手の3人。
まったく揃っていない!
しかもその中の1人の男性は、明らかに5分前に代役を頼まれたかのような動きだ。
居心地の悪そうなその表情は、ペイントでも隠すことはできなかった。
5分もすると、見学者達は当初の半分以下に減っていた。。。
これはどういうことか?大きなお世話とは思いながらも検証して見た。
彼らをかばう訳ではないが、きっとこの日が初日だったのだろう。と思う。もしかして3人で合わせるのは、今回初めてだったのかもしれない。
しかも彼らは、普段別の部署で働いているのだろう。“日本人ならキモノ自分で着られるよね?”的な感覚で“キミ、踊れるよね?”と言われてしまったのかも知れない。
何となく気の毒になり、私達は最後までそのショーを見続けた。
いつの日か、迫力たっぷりのショーになる事を願って。
様々な思いを集めながら、カカドゥの夜は深まっていった。
|
Day34へつづく |
|
|
|